瀬戸内寂聴さんにいただいたサイン。

「中野」はサハラの結婚前の姓。
「文子」と書いて「あやこ」と読む。
昭和62年、寂聴さんは岩手県浄法寺町にある天台寺の住職となった。それ以降、雪で閉ざされる冬季 (12月~3月) を除いて、月に一度、天台寺で青空法話をするために浄法寺町を訪れ、その前夜サハラの湯治していたホテルに滞在する。
あの年は寂聴さんが文化功労者を受賞した年であり、いつも周りにはたくさんの人がいた。夕食時にレストランで見かける寂聴さんのテーブルは、人がたくさん出入りしていて華やかに賑わっていた。
その晩、サハラは調子が悪く友人といつもの時間にお風呂に行くことができなかった。源泉風呂は深夜の12時~翌朝6時まで閉まってしまう。「やっぱり寝る前に源泉風呂に行っておこう」--- そう思ったサハラは、かなり遅い時間に行ったのだと思う。
あれは、源泉風呂が閉まる直前の時間だったように記憶している。
長い階段を下った先にある源泉風呂は、夜ともなると暗い照明の灯りと湯気があいまって誰かがお風呂に浸かっていても、誰が誰だか分からない。が、湯舟にひとりだけいる先客が寂聴さんだとすぐ分かったのは、剃髪された頭が見えたからだ。
サハラが入ると、入れ替わるように寂聴さんが湯船から出られた。「お先に、ごゆっくり。」と、あの特徴ある声で湯気越しに声をかけて出ていった。いつもたくさんの人に囲まれていた寂聴さんがひとり、というのも珍しかったし、湯気の向こうに消えていった姿は幻想的に思えた。
そんなことがあった翌日、ひょんなことからサハラとCさん(一緒に湯治に来ていた友人・交換日記の相手)は、天台寺で行なわれる青空法話後の寂聴さんのサイン会をお手伝いすることになった。
天台寺到着後、時間がじゅうぶんあったので敷地内にある庵で関係者としてお茶をいただいたり、囲炉裏の前で記念撮影などをして「関係者もどき」を楽しんだ。
その後、サハラたちはサイン会の補助をお手伝いした。参拝者が購入した寂聴さんの著書に寂聴さんがサインをする。次に、隣に座ったサハラが「八葉山 天台寺」の朱印を押す。その次にCさんが、墨で書いたサインと朱印が裏表紙に付かないようティッシュをはさみ購入者に渡す。それを延々と300人くらい行なった。けれど寂聴さんは、個人名を書くことはなく、頼まれても「一人ひとりの名前を書いてたら私の腕が折れちゃうわよぉ~」などと言ってご自身の名前だけをサインし続けた。
サイン会が終わり休憩していると、寂聴さんはご自身が訳された 『源氏物語 巻一』 を私たちに進呈すると言い出した。サイン会を手伝ったお礼にと。
「あなたたちの名前はどんな字で書くの?」
「個人名は書かれないと、さっきおっしゃっていたのでは?」
「お手伝いしてくれた方たちには書きますよ、ちゃんと。」
そんなやりとりがあり、サインをいただいた。
あっと言う間に寂聴さんの移動時間が来て、バタバタと帰っていかれた。「関係者もどき」のサハラとCさんは、思いがけない経験をしてポワーといい気分だったけれど、ホンモノの「関係者」の方々は寂聴さんが帰ったあと、ゴシック体太文字で ほっ と大きなため息をついていた。寂聴さんは参拝者に気を配るあまり、その分関係者には厳しい人だった。だから、寂聴さんがいる間は関係者一同はかなりピリピリしていたのも事実だった。サハラとCさんは「もどきでよかったね」と顔を見合わせて、こっそり笑った。
ホテルに戻り、いただいた本をゆっくり眺めた。箱に入った立派な装丁のその本は、表紙を開くと源氏物語の絵巻物が数枚描かれていた。えっ、とびっくりしたのは 装画 石踊達哉 とあったから。石踊氏とは、数年前にお会いしたことがあり、数度手紙をやり取りしたことがあったのだ。誰も知り合いのいない山奥の温泉で起きた新しい「であい」と、よみがえる「であい」。こんなことってあるんだなぁ。
sahara
:
2007.1. 5
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