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水を考える湯治のすすめもしも入院してしまったらアトピーコラム
毎日の習慣が自分を変える明日の地球のためできること
着物の箪笥サハラのお針箱
Linkshare ベストレビュアーコンテスト2007 特別賞をいただきました。ありがとうございました。
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アトピーがくれたもの。-まわりの愛と自分の意思でアトピーは治る-自分にとって初めての、このホームページを作らなければ出会わなかった人たちがいます。アトピーは本当につらいものでしたが、アトピーを経験したからこそ生まれたこのホームページ。あのアトピーが、たくさんの大きなプレゼントしてくれたのだと、今ならそう思います。
若い頃の苦労は買ってでもしろ、と言いますが…。アトピーが悪化して日常生活もままならない時は、そんなことは思いもしませんでした。 発症の原因が分からず、さまざまな検査を繰り返す日々。底が見えない深く大きなブラックホールに落ちた感覚でした。 治癒する直前の2ヶ月間、空気に触れるのも痛くなるほど全身が炎症し、自分ではなにもできなくなった期間がありました。当時のサハラは一人暮らしでしたので、どうしようもなく実家の母にSOSを出したのですが…。 しかし母を東京に呼ぶのは無理じゃないか…、何もできない体に途方に暮れながらも、サハラはそうも思っていました。サハラの実家は旅館を営んでいます。旅館業は24時間体制であり、家族が大きな労働力です。そんな中、母が長期間家を空けることなどできるはずがないと思っていましたし、当時、入院中の祖母、高校受験をひかえた甥もいました。 母は当初、3~4日の滞在のつもりで東京にやってきました。しかし、アトピーが悪化したサハラをはじめて見てびっくりしたようでした。 「どうしてこんなになるまで何も言わなかったの」 母が来た安心感で2日間、気絶したように眠り続けました。母が父にサハラの状況を受話器にむかって説明する声。3人の姉たちが代わる代わるかけてくる電話のベルの音。まな板の上で包丁が踊る音。母が浴びるシャワーの音。今までひっそりとしたサハラの部屋が、たくさんの音を奏でるようになりました。眠りながら「あぁ、これでもう大丈夫」、そう思ったことを覚えています。 結果的に母は2ヶ月間、サハラの看護をしてくれました。そのあいだ、入院中だった祖母が危篤に陥り亡くなりました。母もサハラも臨終に間に合いませんでした。母は葬儀の3日間だけ家に帰り(サハラは葬儀に参列できませんでした)、また戻ってきてくれました。 受験直前の甥は最愛の曾祖母を亡くし大きなショックを受けましたが、「セブンイレブンのおでんを食べて勉強がんばるから、こちらのことを気にせず治療に専念してください」とのファクシミリをくれました。彼にとってサハラの母はおばあちゃんにあたりますが、夜食を作ってくれる担当でもあったのです。 家族のありがたみをはじめ、アトピーはサハラの内外にあるたくさんのことを見直すきっかけを授けたくれたように思います。良くなってから5年を経過して作った「ワタシきれいドットコム」ですが、「ワタシきれいドットコム」がなかったら、今のサハラの日常もきっと違ったものになっていたように思います。 + + +
同一カテゴリー記事: ・受け皿考。- どんな人にも受け皿は必要だから - (2007.3.12) ・アトピーがくれたもの。-まわりの愛と自分の意思でアトピーは治る- (2007.3.12) ・「気持ち悪い」と言われて - アトピーなんて大嫌いっ! - (2007.3.12) ・私がアトピーになったワケ1 (2007.1.17) ・私がアトピーになったワケ2 (2007.1.17) ・私がアトピーになったワケ3 (2007.1.17) ・私がアトピーになったワケ4 (2007.1.17) ・私がアトピーになったワケ5 (2007.1.17) ・医者との相性 その1 - アトピー完治までの道のり - (2007.1.17) ・医者との相性 その2 (2007.1.17) ・医者との相性 その3 (2007.1.17) |
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